イラストレーター 渕上コウジが各地の史跡をめぐり、
歴史のロマンにインスパイアされてイラストを描く歴史エキシビション、
略して「レキシビション」。

【第6回】楊貴妃の墓?の巻

楊貴妃。クレオパトラ、小野小町とならぶ世界三大美女の一人。
中国唐代の玄宗皇帝の寵愛を受けた皇妃で、
その美貌で皇帝を惑わし、「安史の乱」を引き起こしたとして「傾国の美女」と言われています。

皇帝の寵愛を一身に受け、栄華を極めましたが、
756年、安史の乱に会い、蜀へ逃亡する途中で、反乱軍の要求に抗しきれなくなった皇帝の命によって
長安郊外、馬嵬の仏堂で絞殺され38歳の生涯を終えます。
その遺体は道ばたに埋められ、後に玄宗皇帝が密かに改葬させたといわれていますが、その墓所は不明。

、、、というのが定説なのですが、その楊貴妃の墓が、なんと日本にある!というので、行ってまいりました。

今回訪れたのは、山口県長門市向津具(むかつく)半島油谷にある二尊院というお寺です。

 

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龍伏山天請寺二尊院というのが正式名称。
平安時代に創建された由緒あるお寺です。
度々の戦乱、天災などで規模は小さくなってしまいましたが、
かつては15の末寺と8つの僧坊を従え、別名向津具城と呼ばれる程の大寺院だったそうです。

さて、この二尊院に江戸時代から伝わる文書には
「唐の天宝15年7月(756年)空艫船(うつろぶね)に乗った楊貴妃は唐渡口(とうどぐち)という地へ漂着。まもなく死去し給うたので、里人相寄り当寺院境内に埋葬した。」
とあります。(現地案内板より)

殺されたのは身代わりで、楊貴妃はうつろ舟に乗せられこの地に流れ着いたという事でしょうか。

これが、その墓。

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中央の五輪塔が楊貴妃の墓だと言われています。

玄宗皇帝は、楊貴妃への恋慕の情断ちがたく、悶々とした日々をすごしますが、
ある時夢枕に楊貴妃が立ち、日本で亡くなった事を知らされます。

「玄宗皇帝の思い切なるため楊貴妃の霊が彼地に往来したのか、幾夜か夢枕に立たれ、皇帝は楊貴妃の死を知った。
愛情やるかたなく、追善のため、弥陀、釈迦の二尊像と拾参重の大宝塔を持たせ、家来の陳安を日本に遣わした。
陳安は探したが、楊貴妃がいずれの地に漂着したか分からず、やむなく京都の清涼寺へ二尊像を預けて帰国した。

後に漂着地が久津と分かったが、清涼寺では本朝無二の霊仏として評判が高かったため、手放すのが惜しくなった。
そこで同じ仏像を仏工の名手に作らせ、新旧の仏像一体ずつを清涼寺と当寺院で分けて安置することになった。
その後、楊貴妃の墓、侍女の碑を漸く建てることができた。」(現地案内板より)

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これが寺の名前の由来にもなったわけですが、
釈迦如来と阿弥陀如来が二尊院の本尊として残っています。
ただし、鎌倉時代の作ということで、時代的にはだいぶ新しい物のようで。。。
まぁ、そのへんはあえて突っ込まない事にしましょう。

 

 

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「唐渡口」のある川尻岬にも行ってみました。
日本海に突き出たこの岬に立って水平線を眺めていると、
ここに楊貴妃が流れ着いたというのも、あながち嘘じゃないような気がしてきますね。

 

 

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二尊院周辺は中国風の公園として整備され、楊貴妃像も建てられています。

楊貴妃の墓の真偽はともかく、この墓にお参りすれば、
きれいな子供がさずかり安産、縁結び、美人になるなどの御利益があるそうですので、
訪れてみる価値はあるかもしれません。

また、楊貴妃伝説の残る土地は他にもあるようなので、
機会があれば訪れてみたいと思います。

 

二尊院 / 楊貴妃の里:

〒759-4623 山口県長門市油谷向津具下久津3539
JR山陰本線人丸駅よりブルーライン交通バス大浦行20分、二尊院入口より徒歩3分

 

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