イラストレーター 渕上コウジが各地の史跡をめぐり、
歴史のロマンにインスパイアされてイラストを描く歴史エキシビション、
略して「レキシビション」。

【第2回】安楽平城の巻

今回訪ねた史跡は、福岡市早良区にある安楽平(あらひら)城跡です。
福岡市民憩いの場としておなじみの油山から派生した尾根のひとつ、
荒平山(標高395m)の山頂にあます。
豊後の戦国大名大友氏の配下にあった小田部鎮元(こたべしげもと)が、
天文22年~天正7年(1553~1579)の間、居城としました。
天正7年(1579)、三瀬峠などを山越えしてきた肥前の龍造寺氏に攻められ落城。

…ということですが、よほどの城好きでもない限り
行ってみようとは思わなそうなマイナーな城ですねぇ。
恥ずかしながら、僕も最近までその存在を知りませんでした。

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荒平山遠景。山頂が平らになっています。(左奥に見えるのが油山)
油山から尾根づたいにハイキングコースになっているようですが、
今回は龍造寺軍と同様に、早良区脇山方面から攻めることにしました。

 

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車一台通れる程度の舗装された林道があり、山の中腹までは車で上れます。
どこまで行けるか分からなかったので、ほどよい所で路肩に車をとめます。

 

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20分ほど歩くと、「荒平城主小田部鎮元自刃の地」の石碑が立っていました。
落城の際、ここまで落ち延びてきて切腹して果てたのでしょうか。
無念だったことでしょうね。

 

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そこからさらに上っていくと、案内板がありました。
ここに、3台ほどの車を停められるスペースがあります。
舗装路はここで終了。ここからは山道を歩いて登ります。
本丸まで約30分とのこと。

 

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いきなり傾斜のきついこんな山道。
貧血持ちの僕には休み休みでないとツラい。
もしも戦国時代に生まれて、城攻めに参加していたとしたら
城にたどり着く前に確実にギブアップしてますよ。


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そんな事を考えつつ、しばらく行くと右手に高さ2m×横幅10mほどの石垣がきれいに残っていました。
(読者の左馬さまより、この石積みは後の時代の炭焼き関係の石積みかもしれないとのご指摘をいただきました。ありがとうございます。)

 

 

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山頂付近にはこんな巨石がゴロゴロ。
この巨石群も城の防御に一役買っていたと思われます。
攻める側にとってはいやな城という感じですね。

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ここまで来ると、もう汗だくでフラフラ。息も絶え絶えです。
岩の上に寝転がると、ひんやりして気持ちいい。
森のマイナスイオンを感じながら、しばらく休んで息を整えます。

 

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(後になって知った事ですが、じつはこの場所、
落城の際に城の女たちが岩陰に身を隠していたのを敵兵にみつかり惨殺された所で
今でも夜には鬼火が飛ぶという話もあるそうです…。ゾ〜〜〜〜。)

 

 

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そしていよいよ本丸付近。ここにも石垣が残っています。
ここから稜線に添って右に行くと本丸と三の丸、左に行くと二の丸です。

 

arahira_17二の丸から見た風景。
早良平野から今津湾の向こうまで見渡せます。
大友方の城があった柑子岳(こうしだけ)もはっきり見えます。

 

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こちらは本丸跡。山頂が平らに切開かれています。
今は木が生い茂っていて見にくいのですが、
本丸、三の丸の木々の枝の間からは、博多湾から東の立花山(大友家臣、立花道雪の守る立花山城があった)まで見渡せます。

当時はこの城から、肥前と背振山脈を挟んで隣接する早良平野、
そして博多湾に臨む福岡平野一帯を一望することができたということですね。
なんでわざわざこんなところに城を築いたのかと思いながら山を登ってきたのですが、
ここからの風景を一目見て、納得。

暫く誰もいない城跡で歴史ロマンにひたった後、下山したのでした。

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安楽平城址:
福岡市早良区脇山一丁目14番地の三叉路を左折、林道に入り1kmに駐車場。
そこから徒歩40分

 

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